子育ては自分育てとはよく言ったもんだ

元来ダメ人間なアラフォー女がフルタイムで働きながら2児の母に。夫の転勤により第二子妊娠中のワンオペ生活、引越し、転院、転園、夫婦で転勤など激動の2017年を経て、少し強くなったかも?子育てしていると気づかされる、自分のダメな習慣や育った環境のいいとこ悪いとこ。もうアラフォーだけど子育てを機にもっと良い習慣を身に着けたい。

過干渉にならないようにするには

11月終わりごろ、夫と「最近、自分たちが長女に対して過干渉になりすぎていたかもね」と話して二人で反省したことが何度かありました。

特に食事の時など。
うちの長女は本当に好き嫌いなくよく食べる子なんです。
ほかの子の食べない&偏食エピソードを聞くにつけ、「うちの子はよく食べるので助かる、えらい!」と感心しているのですが、それで過度に期待をしてしまっていたのか?
食べる順番とか、食べ方に必要以上に口を出してしまっていたんです、私も夫も。

長女の七五三&次女のお宮参り・お食い初めを一度にやった日のこと。
ハードなスケジュールで長女は疲れ果てていたのですが、夜の会食でたくさんのごちそうを前にし、好きなものや果物から食べようとする娘に、私と夫は二人して「この野菜たべてからにしようね」「これはスプーンじゃなくてフォーク使ったら?」とかいちいち言ってしまって。
ある意味親たちのエゴに付き合わされてハードな一日を頑張ってこなしたのに、さらにストレスになるようなことをしてしまったなあと。

まあ食事の順番なんてそんな大したことじゃないようにも思えますが、こういう口出しが大きくなるにつれて増えていくと、本当に過干渉な親になりかねないな、と反省しました。

 

ふだん、なるべく長女の「やりたい!」という気持ちに寄り添いたいと思って、遊びやものづくり、料理などでも、極力やりたいようにやらせるようにしているのに。
過干渉な親って、理想の子育ての対局にいるようなものなのに。。

 

そんな中、先日NHK Eテレねほりんぱほりん」でヘリコプターペアレントの回を見ました。

www.nhk.or.jp


子どもを常に監視し、何かがあったらどこへでも現れるという「ヘリコプターペアレント」という言葉もこの時初めて知ったのですが、見てめちゃめちゃ恐ろしくなりました。

何が怖いかって、インタビューに登場した親本人はまったく自分が悪いことをしていると思っていないところと
話を聞いて子どもがかわいそうと思っても、他人は助けようがないところです。

 

あれも一種の虐待と思います。
そして、他の虐待と同じように、外からはわからない。


この親の家も外向きにはまともな家庭なんだろうと思います。
私の実家もそうで、両親が教師だったこともあり、子どもに異常性が見られたとしても周りの大人はなかなか気づかないものだと思います。

過干渉に育てられるとACになる人が多いです。
うちの兄もそうだし40を過ぎた今も親を恨んでいるところがあります。(父が他界しているのでなおさらこじらせている部分も)
私も、今頃になって、このブログに書いているように自分の思考や感情のパターンを一から改善しなおそうとしているので、未熟な部分が多いまま大人になってしまったなあと(かといって恨んではいないし毒親扱いはしませんが)。
うちの親は共働きで一緒に過ごす時間は多くなかったので、物理的な干渉は少なかったけど、
親の考えを押し付ける ほしいものを与えない 好きじゃない子供とは遊ばないように言う 進路などに口出し などなど。
私は年が離れた末っ子ということもあり、小学校の時に父が他界したこともあり、ほとんどされなかったのですが、
長男だった兄にはひどかった
・・・と今になってわかります。
本当に、自分が子育て始めるまでわからなかったです。その異常さが。

過保護、過干渉になるのは子どもを自分の所有物と勘違いしているから。
ねほりんぱほりんに出てきた母親は、わが子が自分で考え、判断する力を育てようとしていない。 
それどころかそういうダメな大人になっていくのを嬉々として見ているようにすら思えて腹が立ったし悲しかったです。

秋葉原の殺人事件の犯人の親も、すごい過保護・過干渉だったらしいですしね。
犯人の弟の手記を読むと、ねほりんぱほりんに出てきた母親とも似た部分があると感じます。(↓ 読んでてつらくなるので閲覧注意です)

秋葉原殺傷事件 弟の告白 『週刊現代』 平成20年6月28日号(前編) 7月5日号(後編) - 来栖宥子★午後のアダージォ


自分で考え判断する力って、どんな学力より能力より一番大事じゃないか? 

そういう力を全く育てず、いい大学やいい企業に行かせようとするなんておかしすぎる。
でも、(私の親も含め)、大なり小なりそういうことをやっている親は結構いると感じます。

 

子育てに関して、こうありたい・こうしてみたいといった理想や願望がいろいろありますし、それを実現できるかはわからないのですが、
ねほりんぱほりんに出てきた母親は反対に「絶対こうはなりたくない」姿の具体例だなあと感じました。
でも「最悪のイメージ」をしっかり持っておくのはいいことかもしれないと思いました。
今後、こどもがちょっと食べない、ちょっと我儘、なんてことがあっても、
私が親としてどうかなと気にするようなことがあっても
最悪のイメージからかけ離れた姿であれば、気にしなくていい、と思えるかもしれませんし。